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ねんねこや熱き血潮の母ありき(大阪市・坂本 守)
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2010.02.15 Comment:0 | TrackBack:0
マスクして眼の饒舌に付け睫毛(大阪市・西尾澄子)
2010.02.01 Comment:0 | TrackBack:0
手も足も顔も春著の一部分(枚方市・石橋玲子)


春著・・・正月に着る晴れ着
     新年の季語
2010.01.18 Comment:0 | TrackBack:0
2009年の入選歌から、4選者が各1首を選びました。(1月11日朝日新聞・歌壇俳壇のページより)


永田選
「煙草吸うヤツしか乗せない」はずだった車に置かれたチャイルドシート(和泉市・星田美紀)

馬場選
うずくまる野手をなだむる野手がいて勝者は既に整列を終う(いわき市・鈴木一巧)

佐々木選
白鳥が水浴びるごと噴水は降りしきる雨を受けてはばたく(沼津市・森田小夜子)

高野選
子ら起きる前のひとときひっそりと『1Q84』年に旅する(調布市・西野千晴)
2010.01.13 Comment:0 | TrackBack:0
われはわれにもはや発見なきものを床屋がみつける円形脱毛(和泉市・長尾幹也)

うっすらと埃のようにつもるだろうみんなで笑った今日の記憶は(佐倉市・船岡みさ)

遠き日の手紙の間(あい)の蔦もみぢ薄紙のごとく冬は来にけり(ドイツ・西田リーバウ望東子)



1首目:サラリーマンの悲哀を詠わせるならこの作者。「われはわれにもはや発見なき」が佳い。

2首目:楽しかった一日も、やがて必ずうっすらとした記憶になることを、「埃のように」として秀逸。共感できる歌。

3首目:ドイツの冬の寒さはテレビで聞くぐらいで想像するのみだが、「薄紙のごとく」と表現したところに土地に暮らす人の実感があるのだろう。上の句の雰囲気もよい。
2010.01.12 Comment:0 | TrackBack:0
ホイと受く鯛焼ほどの友であり(大阪市・門脇章子)





余談ですが・・・最近、「白い鯛焼き」をよく目にします。
あんこ好きの私ですが、これはまだ食べていません。やっぱり、鯛焼きは茶色くないと・・・。
そしたら今日、ピンクの鯛焼きが売ってました。確かに鯛ならピンクです。
でもやっぱり、鯛焼きは茶色でお願いします(^^;)
2010.01.11 Comment:0 | TrackBack:0
2009年の入選句から、4選者が各1句を選びました。(1月4日朝日新聞・歌壇俳壇のページより)

長谷川選
河馬二トン春水二トン動かせり(埼玉・宮代町、鈴木清三)

大串選
大阿蘇の山焼き楽の湧くごとし(藤沢市・木村みどり)

稲畑選
声までも紅葉に染まり戻りけり(旭川市・大塚信太)

金子選
白息の華麗な暁(あけ)の電話かな(船橋市・斉木直哉)
2010.01.05 Comment:0 | TrackBack:0
手袋の右手落ちゐてこの街に右手つめたき一人あるべし(仙台市・坂本捷子)

青きリゲル空に凍てつつ喪の葉書去年(こぞ)より今年多く届き来(長野市・近藤光子)

ときながく光あつめし黄葉の地に落ちてなほひかりをたもつ(ひたちなか市・篠原勝彦)



1首目:落ちている手袋から、その持ち主を思うところが面白い。「あるべし」がうまい。

2首目:喪中葉書が多い年というのは確かにある。偶然なんだろうけれど。作者は星空を見上げながら、亡くなったあの人この人に思いを馳せている。リゲル(オリオン座β星)という名も哀愁を感じさせるように思う。

3首目:少し理屈っぽい気もするけれど、ものの見方が良いと思う。
2010.01.05 Comment:0 | TrackBack:0
今ごろは京都あたりか毛糸編む(狭山市・宮倉浅子)
2010.01.04 Comment:0 | TrackBack:0
音でしか湯の分量がはかれない耳を近づけゆっくり注ぐ(坂戸市・山崎波浪)

リストラを怒っていません私は怒らぬ自分に怒っています(福岡県・末松博明)

着ぶくれて棒となりいるガードマン氷雨となりし工事現場に(香取市・関 沼男)


1首目:作者は視覚障害のある方だという。「耳を近づけ」がリアル。

2首目:温厚な人というのか、怒りベタな人というのだろうか。わたしも怒りを表すことが苦手で、「あのとき、どうして簡単に引き下がってしまったのか」とよく後悔する。よくわかる歌。

3首目:「棒となりいる」が眼目。
2009.12.30 Comment:0 | TrackBack:0
音さへも無くしつつある落ち葉かな(藤岡市・飯塚柚花)



電車待つ下着のようなマスクして(東京都・矢野美与子)
2009.12.29 Comment:0 | TrackBack:0
何ごとか背広に赤子背負いたる主任が部長室におりたり(調布市・水上香菜)

柿の木は実も葉も消えてその姿謹厳実直冬に入りゆく(中央市・前田良一)

介護という終りなき日々歳末のバーゲンに行きセーターを買う(川口市・河原ゆり子)


1首目:本当に「何ごとか!」という風景だ。背広ほどおんぶが似合わない服はないと思う。社内でそんな姿を見たら、びっくりしてしまうよなぁ。
ご近所で毎朝会う若いお父さんは、4歳ぐらいの女の子を自転車に乗せ、背広姿に女の子の赤ちゃんをおんぶしている。これがなかなか微笑ましい。

2首目:葉っぱもすっかり落ちた柿の木の姿が、謹厳実直(つつしみ深くまじめで正直であること)であるという。たしかにそんな風情がある。

3首目:「介護という終りなき日々」が身につまされる。介護は、口で言うよりも大変なこと。早く終ってほしいという思いと、終わるのは亡くなったときだというジレンマがある。やっと自由時間をもらってバーゲンに行くことができたのだろう。新しいセーターが買えてよかったですね、河原さん。
2009.12.23 Comment:0 | TrackBack:0
風はみな音になりたる枯芒(藤岡市・飯塚柚花)
2009.12.21 Comment:0 | TrackBack:0
電車つく時間となれば立ち読みの生徒ら一斉に駆けだしてゆく(長野県・沓掛喜久男)

水揚げの魚抓(つか)み手にふりかざしプレゴ(かつた)、プレェゴ(かつた)、と島の朝市(ドイツ・西田リーバウ望東子)

充電をしては待ちいる子の電話母は淋しいなんて言えない(小山市・内山豊子)


1首目:ローカル線は、1時間に1,2本運行というところが多い。辺境になると、2時間待たされることもあるかもしれない。情況が目に浮かんでくる歌。

そういえば、長野県のある町へ出かけたときのこと、路線バスに乗ろうと思っても昼間はまったく便がないということがあった。通学の登下校時の時間帯のみ運行しているのだ。地方はマイカーの人が多いに違いない。学生たちは雪が積もる期間以外は、自転車通学が多いのだろう。

2首目:「プレゴ」は、イタリア語で「どうぞ」という意味らしい。ルビを見て、「かつた」という魚の名前かと思った。日本の魚屋さんでいえば、「はい、買った、買ったー」と言っている様子を思い浮かべればわかりやすい。イタリア旅行したときの歌なのだろう。
「ふりかざし」に勢いがある。「抓み」はルビがないと「つまみ」と読んでしまうなぁ。

3首目:「充電をしては待ちいる」のが、恋人からの電話でなくて子どもからの電話というのが意外に新鮮。気持ちがよくわかる歌。
あえて「子」を出さず、最後に「淋しいなんて母は言えない」とひっくり返したら面白くなると思うが、奇をてらわないのが新聞歌壇の情趣だろうか。
2009.12.14 Comment:0 | TrackBack:0
初氷紙のやうなる顔をして(神戸市・大塚英登)


大綿の飛んで夕べのやうな昼(高槻市・会田仁子)
2009.12.13 Comment:0 | TrackBack:0
「お金持ちになりたいよう」と言って子は人生ゲームのルーレット回す(和泉市・星田美紀)

調子はずれに聞こえても最後にはきっちり合ってた知床旅情(塩尻市・百瀬 亨)

こんなにも笑った頃があったのだ子育て時代の四人の写真(松戸市・猪野富子)


1首目:短絡的に子どもが漏らした一言にドキッとさせられている。そういえば、これに似たような経験がわたしにもあった。人生ゲーム、まだあるんだなぁ。

2首目:森繁久弥への挽歌。破調というほどでもないが(7/5/5/8/7)、「調子はずれ」に合わせたと思えばなかなか手が込んでいる。

3首目:「子育て時代の四人」の捉え方に迷ったが、おそらく家族四人ということで間違いないだろう。子どもが小さい頃のアルバムは、ほんとに笑顔がたくさん見える。我が家は、いまでは家族そろって写真を撮ること自体がなくなったなぁ。
2009.12.09 Comment:0 | TrackBack:0
新海苔に真つ白な帯かけてあり(山口市・村田朝子)
2009.12.07 Comment:0 | TrackBack:0
軒並みに電飾せよのお触れあり今や街とは呼べぬ通りに(長野県・沓掛喜久男)

子を抱く生き物同士目が合ひぬ動物園のサルと私と(和泉市・星田美紀)

われの名に辿り着くまで姪や孫猫の名も出る小春日の母(町田市・古賀公子)


1首目:上の句にどきっとした歌。シャッター通りとなっている商店会で「歳末ぐらいはにぎやかにして客を呼び込もう」と決まったのだろうか。「お触れ」がものものしく、緊迫感がある。

2首目:こういうこと、わたしにもあったように思う。サルも作者(わたし)も子を慈しむ気持ちは同じ。わが子をぎゅっと抱きしめる母ザルに親近感を感じる作者。

3首目:これもまた、「ある、ある」と思う歌。わたしの母は去年亡くなってしまったが、とっさのことに孫の名と飼い犬の名を間違えることが時々あった。年老いて物忘れが増えていくのはしかたない。結句(「小春日の母))に、老母へのいたわりが感じられる。
2009.12.01 Comment:0 | TrackBack:0
人の世の居場所は狭し日向ぼこ(三鷹市・川原瀞秋)
2009.11.30 Comment:0 | TrackBack:0
晩秋の朝の茶房の湯の音を最初の客として聞いてゐる(京都市・才野 洋)

机上なる本に射し込む日のなかを野鳥が二、三よぎりてゆけり(栃木市・飯塚哲夫)

花好きの母がいらぬと言い放つ沈黙長し手術前日(横浜市・滝 妙子)



1首目:晩秋の朝のひんやりと清しい空気が伝わってくるような歌。「聞いてゐる」に余情がある。

2首目:影絵のような静かな趣き。「二、三」としたのも良い。野鳥だとわかったのは、その前に窓の外を見ていたのだろう。

3首目:「いらぬと言い放つ」母の苦い思い。その心中を推し量ろうとする作者のせつなさに、読者もこころが痛む。
2009.11.24 Comment:0 | TrackBack:0
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