9月21日毎日新聞より

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あかあかと揺れゐる領巾(ひれ)と思ふまでやなぎらんひといろの上を秋風


としどしにおとなふ奥志賀高原に老いたるいのち労(いたは)りて来つ


高層の軒ひさし深く巣づくりし岩つばめ秋空へ翔ちてしまひぬ


子つばめに餌を与へず独りだちうながす岩燕すぐれものママ


やなぎらん遠く近くのひとり生え群落見つつ山をくだりぬ



                  宮 英子(コスモス所属)



〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*

結社・コスモスの重鎮、宮英子さんは憧れの人である。90歳を過ぎられたいまも、自由闊達に詠まれている。
1首目は、風が揺らすやなぎらんの赤い花が「領巾(ひれ)」のように見えたという。万葉集に、向こうに見える夫にひれを振る、という歌があったけれど、この歌も静かな相聞のようにも思える。
艶がある、こんな歌をいつか私も詠みたいものだ。
2008.09.21 Comment:0 | TrackBack:0
あのときに盛りの花と見えし樹のふかき青空へひきあげて行く(岡井 隆)


短歌7月号に「旧知旧友の死に憶ふこと」と題して掲載された26首中より。
「樹」は、知人(歌友)のことだろうか。連作の流れから察すると、アララギ歌人の国見純生(故人)と思われる。
「あのときに盛りの花と見え」ていた、歌の友(旺盛に歌を詠み、そして高い評価も得ていた歌人)、あるいはシンプルに、しげく交流していた時期があった人への挽歌と思って読んだ。
下の句「ふかき青空へひきあげて行く」が、上の句を受け、さらに視覚的広がりを持たせている。「ひきあげて行く」に万感がこもる。美しい挽歌である。
2008.07.15 Comment:0 | TrackBack:0
「蛇の衣」    伊藤 一彦


瀬の音を左右の耳に集め立つ吊橋の上にまなこつむりて

不祝儀のごとき暗紅のおきなぐさ雨の日を閉ちをれば寂しも

へつつひのかたちの春の雲うかぶ少しまじめに生きすぎしかな

鬼房の「鬼」より「房」の恐ろしき春の宵ふくらみてくる

胃の中を蟻が歩いて気分悪いと七歳が母に言ふ時代なり

窓の外いつも見てゐる老嬢に恋せしをとこ皆果てしとふ

面(おも)知れど思ひ出(いだ)さぬ人の名のなづきにはあり霊のごとくに

姫空木いちどきにあまた咲(ひら)きたり音なく白を光にすすぎ

鎮魂の責負はされしそめゐよしの花終へしのち緑かがやく

いつしかに甲老いたれど手のひらはまだ若きなり蛇の衣載す

透ける身の鯒(こち)を肴に木香ふくむ 誰も憎まずいい日いい時

東大寺また薬師寺に行かずともここに菩薩の月光そそぐ


                短歌7月号より
2008.07.14 Comment:0 | TrackBack:0
「幽思」     外塚 喬

菜の花の黄のさやるごと雲のゆく静けさのなかに一つ加齢す

過不足のなけれど加齢するたびに振り幅の少しずつ狭くなる

けぶるがにかなたに梨の花咲く日人を殺めず人を抱かず

章節に分けゆくときに打つ句点、読点に今日のいとなみ如かず

かがまりて匂ひを嗅げる野の花に幽思あり銀の雲ながれゆく

われはいま蛙の目借り時ならむ一睡ののち熟睡に入る


                短歌7月号より



2008.07.12 Comment:0 | TrackBack:0
「旧知旧友の死に憶ふこと」     岡井 隆

葉の上に日傘かあげりて都市の樹の一葉一葉のそよぐかなしさ

とつとつと言ふを笑ひつつ見守りぬ言葉あまりに真実なれば

男らがぎしぎしと樹皮こすり合ふ「戦後アララギ」の渦中に会ひつ

あのときに盛りの花と見えし樹のふかき青空へひきあげて行く

玉城徹の書きたる読めばまた少し違う繁りの樹々のふかさや

ほぞを噛む思ひとはあれだ、親しとは勝手な当方の思ひ込みのみ

葉と葉ふれ合ひしは学生の一時期の、裏側みせて樹々は立ちたり

距たりを持ちて太幹立てりけりへだたりてこそ青葉の重さ

どこからか女人のかげの射(さ)すあたり友情は斑(ふ)をもてりけるかも

悔恨が眼であった昨日にくらぶれば西風(にし)吹く今日の一日(ひとひ)まづまづ


                  短歌7月号より
2008.07.10 Comment:0 | TrackBack:0
東京・神保町、学士会館にて。詠草162首。出席者157名。



最高得点(47点)
ねむたさうにうつむきゐたる老猫に盆の窪ありてわれを慰む(平居久仁子)

2位(45点)
「ケエレイ」と叫び挙手して目覚めたり太平洋戦争が闇にまだ居る(知久安次)

3位(43点)
遠すぎず近すぎもせずあいまいな距離はむずかし 眼鏡をかける(後藤祐子)




1位と3位の歌は私も点を入れました。

1位:ねむたさうにうつむきゐたる老猫に盆の窪ありてわれを慰む
愛猫をよく観察しています。酒井佑子さんの歌評が、実に的を射ていました。
もちろん人間にもある「盆の窪」が、この子にもあったんだという発見。盆の窪がわかるくらい、齢を取って痩せてきた猫なんですね。同じ時間を過ごしてきた、一緒に齢を取ったという感慨が「われを慰む」にしみじみと表われています。

2位:「ケエレイ」と叫び挙手して目覚めたり太平洋戦争が闇にまだ居る
歌として出来すぎな気がして取りませんでしたが、たしかに説得力を感じました。
実際に従軍経験のある人ならば、戦後60年以上経った今も、そういう夢を見ることはあるだろうと思います。
戦争経験のある方から、「ケエレイ」ではなく、正しくは「ケレイ」だ、という意見もありました。

3位:遠すぎず近すぎもせずあいまいな距離はむずかし 眼鏡をかける
一読、人間関係のことだなと思いました。「あいまいな」を「ほどほどの」にしたほうがいいと思ったのですが、どうでしょうか。
老眼のことという取り方も出ていました。なるほどそういう読みも出来ますね。
一字空けが効いていると思います。




小池光さんが「一読して、いいと思った歌が『いい歌』。何度も読み直さなければわからない歌は、良くない歌なんだ」ということを言われて、なるほど〜と思いました。
しかし、小池さんの歌評は辛らつなところが面白い、面白すぎです!
私の歌も、いつか小池さんにコテンパンに批評してもらいたいなぁ。


私の歌は、藤原龍一郎さんが担当された全体評のところで、すこし触れていただきました。
「われを頼めて、というのは、『梁塵秘抄』にありますね。短歌の中に、謡曲のフレーズを持ってくるのは馬場あき子さんがよくやっておられます。われを頼めて、は、私に頼りに思わせて、と言う意味ですが。違う取り方をされることがあるかも知れません。短歌をやっている人(読者)なら、そういう誤解はないとは思いますが」と、だいたいこんなお話でした。

まったく藤原さんの言われたとおり、『梁塵秘抄』からヒントを得ました。というか、馬場あき子さんの真似です(苦笑)


流星はわれを頼めてしろがねの非常階段に身を反らさせり(佐山みはる)
2008.01.20 Comment:6 | TrackBack:0
今年のお題は「火」
世界各地から2万3795首の応募があったそうだ。



一般入選作(年齢順)

山口県/魚本マスヱさん
しんしんと雪降る空にとどろきて進水式の花火は上る


青森県/中村正行さん
田づくりも今宵かぎりと焼く藁の赤き火見つむ妻と並びて


ブラジル・サンパウロ/渡辺光さん
晩秋の牧場の地平に野火走り一千頭の牛追はれくる


京都府/浅野達子さん
嫁ぎ来て五十年仰ぐ送り火がこの夏も燃ゆ大の字に燃ゆ


北海道/西里喜久男さん
海峡の沖に群れゐる漁火の一つ静かに移動はじめつ


大分県/山崎美智子さん
二〇〇〇度の高炉より出で圧延に入りたる鋼のなほ火炎(ほむら)だつ


愛媛県/岡田まみさん
高窓に赤くつめたき火星きてローマ史最終巻をひもとく


島根県/吉田友香さん
夜神楽の火は赤あかと燃え盛り大蛇(をろち)の顔の迫り来るなり


大阪府/宮川寛規さん
火の中にかすかに見えるものがあるそれはいつもとちがふ風景


佐賀県/田中雅邦さん
一人見る花火はさびしいものだよと赴任の地から父は電話す




*ちょこっと感想
島根県の吉田友香さん、「大蛇の顔の迫り来るなり」がいいと思いました。
夜神楽の松明が作りだす明と暗。舞台の演者の手振り、裾さばき。見入っているときに、薄暗がりからぬっと大蛇の顔が自分の前に寄ってくるような。臨場感があります。
2008.01.18 Comment:0 | TrackBack:0
2週続けて郷隼人さんの歌が掲載されていました。


1月7日朝日歌壇

晩秋のプリズンの夜は更けゆきて懲罰棟に叫び声のする

<隔離棟>に収容されし吾が身なりシンプル・ライフの究極にあり


1月14日朝日歌壇

ステンレスの便器冷たし獄房の霜降る朝の白き吐息よ

「齢をとるというのは悲しいことです」と母の便りに認めてあり





郷さんの境涯歌(というほかないと思う)を、ほかの投稿者と差別なく選ぶとしたら、、、私だったら上記の4首のうち3首は採らないなぁと思いました。
落とされた他の方の歌にもっと良いのがあったかもしれない、と思うと複雑な気持ちです。
2008.01.15 Comment:0 | TrackBack:0
体調を崩していたり、短歌ができないときの気分転換に、歌誌のバックナンバーを読んだりしている。


わが座るベッドを撫づる白き指告げ給ふ勿れ過ぎにしことば

黒き薔薇ぬいし手提を膝に置き俯向くときに眉長きかな

                   相良 宏


平成12年角川短歌2月号で見つけた、このなんとも美しい歌。
抒情性の高さを感じる。こういう歌を詠んでみたいなぁ。

作者は、昭和30年に31歳で肺結核で亡くなっている。
(歌人岡井隆さんの恋敵だったらしい)
「相良宏歌集」を探して読んでみたいと思う。
2008.01.06 Comment:0 | TrackBack:0
初心とはいつでも帰れる貌をして傍らにありてすでに帰れず

                        馬場 あき子



「帰る」ではなく、初心という場合は「返る」のほうだと思うんだけど。
誤植ではなく、この歌ではわざと「帰る」のほうを使ったのだろう。

辞書で「初心」をひいてみた。
・〔何かをしようと〕はじめに思いたったときの強いこころざし。「―を忘れるな・―に返る」
・ものごとの習いはじめ。

よく「初心に返る」というが、それはやはり難しいことなのだ。
経験を積むということは、ものごとを習いはじめたころとは、違う状態になることであるからして。「初心を忘れず」というのが正しいわけで。

「いつでも帰れる」と口にはするものの、実は「すでに帰れず」なんだという。
歌意がよく通る歌。しかし、さすが大歌人に許される内容の歌と思った。
2008.01.01 Comment:0 | TrackBack:0
天体は大きな卵のやうに光(て)り立冬の今日あたたかに昏る

                   河野裕子/『体力』



河野裕子さんの『体力』を、図書館から借りて読んでいる。
十年前に出た第七歌集。
何度も繰り返して読んでみると、どの歌にも惹き付けられる。
もっと河野裕子さんの歌を読んでみたい。



去年に比べて、今年の立冬は温かい気がしたな。





2007.11.08 Comment:0 | TrackBack:0
短歌研究11月号より「新人歌人作品集」より



皺おほく入り組む貌をもつ犬の歩み来てわれとすれ違ひたり


石畳に雨は降りそむ 石に落つる雨ははるかな海を呼ぶ音


飼ひ主に従ひ空を仰ぐ犬 雨宿りとは何かも知らず


何願ひし痕跡ならむ溶けのこる蝋に重ねて灯(ともし)を献ず


歯を磨けヨ! カトちゃんの笑顔見てしのちテレビを消せば夜は暗かりき


                    十合あとり(日月・玲瓏所属)
2007.11.07 Comment:0 | TrackBack:0
短歌研究11月号「新人歌人作品集」より




ふくろうの豊かな胸が吐く越えの確かな愛の言葉と思う


頑丈な風神のような体からすれ違うとき小さき風くる


少年の鎖骨に似たる形して鷗は青き空を切り裂く


卓上ののびる夕陽に転がって不安定形なる私のプラム


                 川口慈子(かりん所属)
2007.11.04 Comment:0 | TrackBack:0
そこにまだ門あるごとく低き階残りてをりぬ夜の空き地に

           花山 多佳子 『空合』



お気に入りの「椿の家」が、すっかり取り壊されてしまった。
道路沿いにあったあの見事な赤い八重椿の木も根こそぎなくなってしまった。
建て替えらしいのだが、あの椿にはもう会えないのだ。
2007.09.20 Comment:0 | TrackBack:0
自転車の篭にコロリと横を向く蝉の骸の誰も待たぬ眼

            林 文子『鰯雲の中』



抜け殻や鳴いている(生きている)蝉を詠った歌は多いが、死んでしまった蝉の、その眼に注目したところが面白い。
五句の「誰も待たぬ眼」にどきっとする。ゾクゾクするほど素敵な歌。




2007.09.19 Comment:0 | TrackBack:0
一日(ひとひ)われは雲あふぐ遊子藍色の秋天にまだ夏雲がゐる

            渡 英子『レキオ』


短歌人の渡英子さんの第2歌集『レキオ』より。

短歌誌を読んでいると、ひょっとしてこの人も雲が好きかも・・・なんて思う歌に出会うことがある。
たぶん、渡さんも雲を見るのが好きなのだろう。

「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にも驚かれぬる」(古今集)といにしえびとは詠ったが、空の高さも風の音も秋らしくなっていると思うのに、今週いっぱいはまだ残暑の名残らしい。
2007.09.18 Comment:0 | TrackBack:0
七月二十日かならず蝉が鳴くものを 手帳に記しおきたるものを             花山 多佳子『つゆのあめ』(歌壇9月号)


十月二十一日去年も今年も子の顔の腫れ上がりたると手帳に記す             花山 多佳子『空合』


花山多佳子さんの『空合』を図書館で借りて読んでいる。「十月二十一日・・・」の歌を読んで、はて、つい最近、花山さんの歌で「手帳に記す」歌があったような・・・と思っていたら、歌壇9月号に「七月二十日・・・」の歌を見つけ出した。
花山さんはメモ魔なのかな。手帳を日記帳代わりにしているのかもしれない。

「十月二十一日・・・」のほうの歌、二年続けて同じ日に、子どもの顔が腫れ上がるなんて偶然あるのだろうか。ああ、まさか。顔が腫れるような行為が・・・。
日付には私的な意味があるのだろう。
2007.09.16 Comment:0 | TrackBack:0
スカートを寝押しするごと感情の襞たたみ終へ眠らむとせり

          栗木京子『夏のうしろ』
2007.09.14 Comment:0 | TrackBack:0
メールには旅が足りない 幾夜の孤独を越えて手紙は届く

           天野 慶

11日の朝日新聞夕刊『たまには手紙で』に載っていた天野慶さんの短歌。

私もお手軽にメールばかりなのだが、ときどき丁寧に手紙を書きたいと思うことがある。
いつもメールをしているけれど、なかなか会えない友人に。
書いたときは蕾で、相手が読む頃に綺麗に咲くような手紙を。


2007.09.12 Comment:0 | TrackBack:0
旅客機より最後の言葉伝へたる電波もあの日空を飛びたり

           栗木京子『夏のうしろ』
2007.09.11 Comment:0 | TrackBack:0