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これは、私の母の口癖でもありました。91歳まで助産師として仕事を続けた母ですが、「どんな赤ちゃんにもきっと役割がある。役割がなくてオギャーと生まれてくる赤ちゃんは一人もいない。だから早く自分の役割を見つけ、それを果たしなさい」と。
でも、自分の役割が天から降ってくるわけではありません。役割はどこにあるか。あなたの好きなものの隣にきっとあると思いますよ。

新井満/2月14日朝日新聞・朝日求人欄「仕事力」より
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2010.02.15 Comment:0 | TrackBack:0
朗読・翻訳 その豊穣な時間/中山 元(哲学者・翻訳家)

                           2009年2月21日朝日新聞より

(前略)

他者の思考を理解するということは、そのひとの言葉のうちで呼吸している思考を理解するということだ。しかしただテクストを読んでいても、著者の思考の鼓動を感じとれないことがある。優れたテクストの多くは、長い時間をかけて書かれたものであるのに、読む者の目は、しばしばテクストの上を高速で滑走してしまうからである。
思考を読み解くためには、遅さというものが大切なのだ。テクストの背後と行の間を読み込み、その白紙の部分にみずからの思考を書き込みながら、長い時間を過ごす。著者との沈黙の対話のうちに過ごすこの時間は無駄ではない。それこそが豊穣な時間なのだ。

だが、どうすればその遅さをもたらすことができるのか。ぼくはよく、次の二つの技法を使っている。一つはテクストを耳から聞くということである。テクストを朗読する、そして録音するのだ。目でみた文章をひとたび自分の口で語り、語り終えた言葉を録音で聞く。このとき言葉はふたたび耳を通して入ってくる。目と口と耳を通過しながら、他者の文章の思考の動きが、次第にぼくの思考と絡み合ってくる。生き物のようなその変化は微妙で、深い。
もう一つは、翻訳してみることである。(以下省略)



↓全文
2009.02.21 Comment:0 | TrackBack:0
言葉には心がこもる。だから、からだのどこかをくすぐらなくても人を笑わせられるし、実際に殴らなくても人を傷つけることだってできる。
「それだからこそ、言葉を大切に使ってほしい」

             俵 万智さんの言葉/2009年2月16日朝日新聞~「オーサー・ビジット」欄より
2009.02.16 Comment:0 | TrackBack:0
「ふるびたる庭」/森岡貞香

短歌研究1月号より
      ↓
2008.12.26 Comment:0 | TrackBack:0
「好かない男が山ほどの砂糖を運んできても、好いた男の塩のほうが甘い」

                   乙羽信子



うん、まさにその通りと思います。
2008.01.19 Comment:0 | TrackBack:0
衆生(しゅじょう)の解脱せざるは
ただ名利を貪るによる。
己を他に従えんと欲(おも)わず、
ただ他を
己に従えんと欲(おも)う。

          弘法大師「宗秘論」




人がこの世で苦しむのは、名誉や利益にこだわりすぎるから。
自分のほうから譲ることをしないで、他人を自分に従わせようとのみする。
2006.11.03 Comment:0 | TrackBack:0
99パーセントは悲しいかもしれない。でも残り1パーセントの楽しいことを目指していくのが人生。

           井上ひさしさんの言葉@朝日新聞より




2006.05.24 Comment:0 | TrackBack:0
そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとつたひとつのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ

       「レモン哀歌」高村光太郎
2006.05.21 Comment:0 | TrackBack:0
5月のそよ風をゼリーにして持ってきてください。
2006.05.06 Comment:0 | TrackBack:0
五月の詩・序詞    (寺山修司)

 きらめく季節に
 たれがあの帆を歌ったか
 つかのまの僕に
 過ぎてゆく時よ

夏休みよさようなら
僕の少年よ さようなら
ひとりの空ではひとつの季節だけが必要だったのだ
重たい本 すこし
雲雀の血のにじんだそれらの歳月たち

萌ゆる雑木は僕のなかにむせんだ
僕は知る 風のひかりのなかで
僕はもう花ばなを歌わないだろう
僕はもう小鳥やランプを歌わないだろう
春の水を祖国とよんで 旅立った友らのことを
そうして僕が知らない僕の新しい血について
僕は林で考えるだろう
木苺よ 寮よ 傷をもたない僕の青春よ
さようなら

 きらめく季節に
 たれがあの帆を歌ったか
 つかのまの僕に
 過ぎてゆく時よ

二十才 僕は五月に誕生した
僕は木の葉をふみ若い樹木たちをよんでみる
いまこそ時 僕は僕の季節の入り口で
はにかみながら鳥達たちへ
手をあげてみる
二十才 僕は五月に誕生した
2006.05.01 Comment:0 | TrackBack:0
しかし今や、黄色い空を見上げ、砂漠の物語に思いを馳せている場合じゃない。日本に舞い降りる黄砂は、残念ながら自然の営みとばかり言っていられない。
人間は森の木々を燃料とし、増えた家畜は草を喰い荒らす。本来、緑の大地であるべき場所が砂漠となり、遥か彼方の島国まで砂をまき散らす現実となる。
空に垣根はない。地球にたった一つの空。壊すも守るも僕ら人間にかかっている。

          石原良純「あした天気に」(朝日新聞)
2006.04.26 Comment:0 | TrackBack:0
たしかに電話機能、メール機能、iモード機能と何役で情報を伝達してくれる携帯電話は便利に違いない。しかし、あまりにも身近な距離で莫大な量の情報に囲まれた時、本来、人の暮らしを豊かにしてくれるはずの情報が人に危害を及ぼす。
“あんな物、私は食べられない”“あんな服、私は一生着られない”。人は知らなくてもいい情報まで取り込んで、ストレスを感じる。
それもこれも近くばかり眺めているから。背筋が丸くなり、気持ちも暗くなる。そんな時は遠くを見よう。一日に一度は空を名を眺める。それが何よりもストレス解消法と僕は断言する。


          石原良純「あした天気に」(朝日新聞)より
2006.04.13 Comment:0 | TrackBack:0
春はまず、視覚からやって来る。
冷たい冬の季節風が枯れ枝を揺らすモノトーンな景色が、天高く昇るようになったお日さまの陽の光を受けて、輝き出す。
木々の枝にはつぼみがほころび始め、枯れ枝も葉緑体を取り戻す気配。
それが“光の春”。


          石原良純「あした天気に」(朝日新聞)
2006.04.06 Comment:0 | TrackBack:0
「文章は、あなたにしか書けないことを、具体的に、平易に書けばよいのです」


3/21朝日新聞夕刊「炎の作文塾」(川村二郎)
2006.03.31 Comment:0 | TrackBack:0
「まだ」


死を知らせる短い手紙が
路傍の名も知らぬ小さい花のように思えた
窓の外の豪奢な夕焼けを見ながら
死んだ友人の控えめな笑顔を思った


あっちにも日常はあるのか
それとも永遠しかないのだろうか
終わりのない雑事に紛れて
私は忘却への一歩を踏み出す


スカルラッティに身をまかせていると
心がゆるやかに波打つ牧草地に出た
霧雨のような後ろめたさに包まれて
私はまだ 生きている


佇む一頭の馬に自分をなぞらえて


          谷川俊太郎




※スカルラッティ・・・イタリアの作曲家
2006.03.27 Comment:0 | TrackBack:0
今日と言ふ日。彼岸中日、春分の空が、朝から晴れて、雲雀は天に翔り過ぎて、帰ることのできぬほど、青雲が深々とたなびいて居た。




翔り・・・かけり
2006.03.21 Comment:0 | TrackBack:0
 わたしたちが文学と出会うのは、およそ青春時代である。そこで出会う文学は、いうんらば青年の自意識の表現であり、小説にしても詩にしても、過剰な自意識ゆえの孤独感や、恋の煩悶や、人生に対する懐疑や、社会への反逆といったテーマに、青年の読者が共感し感動する。
 しかし俳句は、自意識の表現には適さない。すなわち青年の文学ではなく、大人の文学である。恋も反逆も重要なテーマでなくなったとき、それまで価値を認めなかった日常のささいな出来事が、人生にとって大事なものであることに気づく。俳句はそうした第二の発見を楽しむ詩型だ。

           仁平勝(俳人)@朝日新聞「時評歌句詩」より
2006.03.12 Comment:0 | TrackBack:0
西に傾いた太陽は西日。夏に照りつける太陽は炎陽(えんよう)。秋は秋陽(しゅうよう)。
そして冬の日差しは愛日(あいじつ)。
この愛日には、親孝行するために日を惜しむという意味もあります。
激しさはないけれど、静かにやさしく光をそそぐ冬の太陽。年老いた親を思う気持ちに似ている気がします。



「美人のいろは」山下景子
2006.03.11 Comment:0 | TrackBack:0
山路を登りながら、こう考えた。

智に働けば角が立つ。

情に掉させば流される。

意地を通せば窮屈だ。

とかくこの世は住みにくい。

住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。

どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。

人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。

やはり向こう三軒両隣りにちらちらする唯の人である。

唯の人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。

あれば人でなしの国へ行くばかりだ。

人でなしの国は人の世の国よりも猶住みにくかろう。

越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、

寛容(くつろげ)て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。

ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。

あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。
2006.03.09 Comment:0 | TrackBack:0
今、世界中で映画が作られすぎている。
今、作らなくていいものは作らない。
今、作らねばならない作品を作るのが私の使命だ。

        映画「ニューワールド」を製作したセーラ・グリーンさんの言葉
2006.03.08 Comment:0 | TrackBack:0
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