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寺松滋文歌集『爾余は寡黙』より

夏のをはり薔薇に触れたる指先に血は半球をなして零(こぼ)れぬ



子供の頃、家の近くの教会に庭に、夏になると真っ赤な薔薇が咲いていたのを覚えている。うっかり棘に触ったときのあの痛みを、この歌を通して思い出した。
ぷっくりと指先に血があふれ出て、あれから薔薇に触るときには気をつけるようになったものだ。

そういえば、薔薇に棘があることを今の子どもたちは知っているだろうか。フラワーショップで求める薔薇は、丁寧にも棘が切り落とされている。棘に刺された経験がなければ、この歌の理解もできないだろう。
経験無くしての、他人の痛みへの想像力は貧しい。それは子供に限らないことであるが。
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2004.08.31 Comment:0 | TrackBack:0
郷隼人歌文集「ローンサム・ハヤト」より

歳時記を繰りて学びぬ花の色 黄の待宵草 白の月見草



月見草は夏の季語。花の色は純白。昼に花が咲くことはない。花言葉は、ほのかな恋。

一般には黄色の大待宵草を「月見草」と間違えて認識している。月見草と待宵草はまったくの別物。
太宰治『富士には、月見草がよく似合ふ』(『冨嶽百景』の一節)の月見草は、本当は待宵草だったといわれている。このことから察して、昭和のはじめにはすでに誤用されていたようである。

月見草は北アメリカ原産。幕末ごろ日本に伝来したそうだが、待宵草と比べて繁殖力が弱かったようだ。よく見かける花ではない。以前一度だけ、信州のあるところで「これが本当の月見草です」と教えられて見たことがある。まだ苗の段階で花を咲かせるほどでなかったが、待宵草とは姿形が違っていた。

http://www.h5.dion.ne.jp/~kibori/room/tukimi.htm

「月見草」と言う美しい名前を埋もれさせておくには惜しく、風流人たちは待宵草にこの名前を預けたのだろうか。
2004.08.30 Comment:0 | TrackBack:0
郷隼人歌集「ローンサム・ハヤト」より

毎日のビタミン剤を欠かさずに摂り健康に留意する死刑囚



人は何のために生きているのか、あらためて考えさせられる。

死刑囚ということは、殺人を犯したのだろうと思う。
他人の命を奪ったものが、自分の命を永らえさせようとする。
どうせ死んでしまうのに。
滑稽で悲哀に満ちた一首。

人殺しの懺悔の念で、悔い改めるために生きている?
それは、甘っちょろいセンチメンタリズム。
人はどこまでも「生」に執着している。
生きる目的などなくても生きてはいける。


「私」は何のために生かされているのか?
理由などない。
生かされているなんて考えてはいけない。
死なないから生きている。
ただそれだけのこと。



<郷隼人氏について>
郷さんは、約18年前にアメリカで終身刑を受け、現在も服役中の日本人です。
いつの頃からか忘れたけれど、朝日新聞に掲載された郷さんの短歌を目にしてから、その歌の心に動かされました。
年老いた母への思い、望郷の念、失わない希望、自分への戒めのために詠まれた歌の数々。短歌を詠むことによって、自分自身を救っていることを自覚しておられます。
そんな郷さんの歌をこれからも読ませてほしいと願っています。
2004.08.29 Comment:0 | TrackBack:0
かなしみはひとりのものにすぎぬから少し陽気な傘さしてゆく

                   中川佐和子



決して忘れられるはずもない悲しみの中にいても、生きているだけで苦しい日々でも、いつかまた顔をあげて歩き出そう。
ゆっくりゆっくりと。私は生きていくのだから・・・。
2004.08.27 Comment:0 | TrackBack:0
この世に存在するありとある苦しみのこと。


「四苦」は、人生における最も基本的な苦しみ。
      生、老、病、死

「八苦」は、四苦にさらに四つの苦しみを加えたもの。
      愛別離苦 あいべつりく(愛する人と別れる苦しみ)
      怨憎会苦 おんぞうえく(憎む人と会う苦しみ)
      求不得苦 ぐふとくく(求めて得られぬ苦しみ)
      五陰盛苦 ごおんじょうく(ものに執着する苦しみ)

「四苦八苦する」は、ことがうまく運ばずに非常に苦労するという意味。
2004.08.26 Comment:0 | TrackBack:0
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