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2月26日(土)朝日新聞「オーサー・ビジット こんにちは 作者です!」に、詩人の谷川俊太郎さんの授業のことが載っていた。谷川さんの授業を受けたのは、佐賀県立神崎清明高校の2年生・国語選択クラスの50人。

「詩に作者の自己が出るのは確か。でも自己にこだわりすぎると、自分勝手な書き方になったりする。だいたい自分が何かって、誰にもわからないはず。
僕にとっては、他の人が喜ぶように、感動するように、ある形を作るのが詩。自分より、受け取ってくれる人が大事です」
「実際に我々が夕焼けを見たとき、かわいい子どもの笑顔を見たときの感情は、詩的なものだと思う。言葉でつくる詩は、実は言葉を越えた感動を目指しているんだ。まず、言葉そのものに身をゆだねなさい」(谷川俊太郎さん)



詩も短歌も忘れてしまうぐらいたくさん作ってきた。でも、「他の人が喜ぶように」なんて考えたこともなかったな。
他の人を喜ばす短歌とは? 言葉遊びを取り入れた短歌は、確かに読者も楽しいが。
詩と短歌は違う? 明らかに形は違う。
短歌で「自分」を表現しているとは言うが、必ずしも事実ではなく虚構で作ることも多い。
アリがゾウになるぐらい化けるぐらいのこと、詩歌に限らず創作者はけっこう皆やっているんじゃないかなと思う。
これも他の人を喜ばすことになっているのかな。
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2005.02.26 Comment:0 | TrackBack:0
梅咲いてしまひし空の一変す(龍ヶ崎市・今橋眞理子)



梅が咲いたから、見上げる空の雰囲気まで変わってしまった、という解釈でいいだろう。
「梅が咲いてしまひし」(梅が咲いてしまった)という言い方に引き付けられた。
2005.02.22 Comment:0 | TrackBack:0
へらじかの皮でできたる太鼓にはへらじかのけんかの傷あと残る(町田市・宮沢洋子)

何をしても駄目な日なりし夕まぐれ大根一本大鍋で煮る(横浜市・滝妙子)




一首目:私の好きなアニマル系?短歌。実際に、太鼓の皮部分に傷があったのかどうか。しげしげと見つめているうちに、へらじかが生きていた頃へまで作者は想いをはせ、うっすらと傷跡が見えてきたのだろう。

二首目:頑張るほど空回りになったり、後手後手に回ったり、思うように行かないことが多い。
私もそんな日には、大根や芋が煮えるのを静かに待つだけです。
2005.02.21 Comment:0 | TrackBack:0
帰路もまた探す目となり雪の富士(名張市・山崎美代子)


東海道新幹線に乗っているとき、富士山が見えるかどうかって気になりませんか?
作者と同じく、私もついつい探してしまう。
日本人って富士山が好きですよねぇ。なぜだろう?
2005.02.16 Comment:0 | TrackBack:0
緊張の漲る所内の雰囲気よ看守殺害されたる朝は(アメリカ・郷隼人さん)


ちょっとお久しぶりの郷隼人さん。
先月、「何度も入選されている方は名前を覚えているので、しばらくお名前が見えなかったりすると心配になり、異国の獄中から歌を送ってくる人は、どんな人生だったのだろかと考えたりする」という内容の新聞投稿があった。私も同じ思い。
12月掲載の「ロックダウン」のように、これも特異な環境にある郷さんにしか詠めない歌。
2005.02.15 Comment:0 | TrackBack:0
道ひとつ違へて梅の香に出会ふ(神戸市・玉手のり子)



いつもと違う道を歩いてみると、新鮮な出会いが必ずある。

俳句には「吟行」といって、句を作るためにどこかに出かけるということをよくやるようだ。短歌でもやっているようだが、俳句ほどではないと思う。
旅行だったり、お散歩だったり。一人でだったり、同好の志が集まったり。いつもと違う道を歩いただけで、目先が変わって創作意欲が刺激されるからだろう。
私も旅行に行ったときに、その場で自然に俳句ができた経験が何度もある。

自分へのお土産代わりに、かさばらないのでおすすめです。
2005.02.14 Comment:0 | TrackBack:0
ほのかにも雪の匂いす灯あかりの下にゆっくり林檎をむけば(広島県・荒巻武子)


北原白秋の「君帰す 朝の敷石サクサクと 雪よ林檎の香のごとく降れ」をベースにしているのだろう。白秋のこの相聞歌を好きな人は多い。私もそうだ。
2005.02.13 Comment:0 | TrackBack:0
1月31日(月)朝日歌壇より高野公彦選

「ストーブの灯油了(おわ)れば眠ると決め「街道をゆく」遅読楽しむ」   枚方市・三戸悠紀さん



2月12日は、司馬遼太郎さんの命日でした。(1996年没)司馬人気は、途絶えることなく深いですね。

2005.02.12 Comment:0 | TrackBack:0
2月10日の「朝日川柳」より

「セントレアどこだどこだと世界地図」 川崎市・竹内功さん


セントレアは英語の「セントラル」(中部)と「エア」(空)を合わせた造語。来年3月20日の合併に向かって、愛知県美浜町と南知多町の法定合併協議会でいったん決定した名称が「南セントレア市」。17日開港の中部国際空港の愛称が「セントレア」で、空港がある常滑市の南に位置していることから「南セントレア市」という名に決定したそうだ。
最初聞いたときは「へっ!?」とびっくりしたけど、「まあ、それもありかなぁ。見慣れれば素敵な名前じゃん?」と楽観していたら、やっぱり反対が多かったようだ。




「思い出も伝統も消すカタカナ市」 名古屋市・潮田茂さん


このふたつの川柳が載っていたの横に、岡山県の高校生の投書「安直な新市名 歴史はどこに」があった。

「しかし、『最近の若者は学習しない』と大人が批判する資格はないと思う。(中略)最近の新地名には平仮名や語呂合わせが目につく。すべて大人が考え出したものだ。根を下ろした漢字文化の地名に、簡易さや観光が優先されるようでは、とても子供だけを批判できない。合併が行われ新しい地名を考える場合は、せめて今ある地名が生まれた歴史的背景を熟慮して頂きたい」


地名は、歴史に刻まれていくもの。地球の大きさに比べたら、とてもちっぽけな町だったとしても。
目新しさや語呂のよさだけで決めてはいけないか。うーん。
2005.02.10 Comment:0 | TrackBack:0
第6回「小学館文庫小説賞」(小学館主催、賞金100万円)に、571編の応募作から選ばれたのは、岩手県の河崎愛美さん(15歳)が書いた恋愛小説「あなたへ」。今春、小学館から単行本として発売されます。
河崎愛美さんは、中学生になってから村山由佳さんなどの小説を集中的に読むようになり、これまでに地元紙の小説コンクールで新人賞を受けたこともあるとか。

同じように、中学生ぐらいから小説を書いたりするような子は他にもいます。「デンパンブックス」というサイトを見ると、若い物書きがたくさんいます。ですから、このニュースには驚いたりはしませんでしたが、河崎愛美さんの「誰かに気持ちを伝えたいと思ったとき、小説という形式がぴったりでした。心の深いところに届く小説を、直球勝負で書いていきたい」というコメントは、大作家が小説にこめる想いと変わらないのじゃないかと思いました。
「でも、自分の人生を犠牲にしてまで書くものではないので、次の小説はまた書きたいものが出てきたらとりかかります」というところでは、現代っ子というか、やっぱりまだ世間を知らないからねぇと思ってしまいましたが。賞を取るということはどういうことか。この年齢では、その後の予想をするのは難しいのでしょうねぇ。重圧につぶれたり、干されたりしなければいいなと老婆心。作家の島田雅彦さんだったら、どんな感想を持たれるのかな。お聞きしたいものです。

河崎愛美さんの受賞記事の前日の朝日新聞に、大江健三郎さんの記事がありました。その中で、古井由吉さんが島田雅彦さんに語ったという「書くことがなくなってから、本当の作家になるんですよ」という言葉に、大江さんは同じ作家として共感したというくだりがありました。
「書きたいことを書きつくしたあとに、文体とか、語り方とか、小説の形が磨き出される。人間の知恵も愚かしさもラブレーの時代から変わっていない。作家が書くのは、とりとめのない徒(あだ)しごとで、形式によってのみ文学になり、人間の文化を表すことがある。小説と人生が重なり、小説の技法を磨き続けることが生きることになる。それが作家の人生だとわかってきた」

「書くこと以外に何もできないから作家になった」とかいいますが、それは「作家業」を仕事にしたということではなく、たぶん、「作家」とは書かないと生きていられない人たちのでないかな、と思います。物を書く人にとって、生きることは書き続けること。
歌人も同じでしょうか。生きている限り、詠わずにいられない。どうでしょうか?諸先輩方。
2005.02.09 Comment:0 | TrackBack:0
2日の日記の中で、「たとえば「今年の流行色は青です」というのは、あらかじめファッション業界が作った情報であるのと同じで、純粋な?消費者はうっかり乗せられちゃうってよくあるパターン」と書いたけれど、あながちそれが悪いとは思わない。その流行の波に乗ってみるのも、人生を楽しく過ごす秘訣になると思うから。流行に関心がなくなるということは、向上心が衰えること、心が老いることだと思う。

ファッションコーディネーターの西山栄子さんが「日本はファッションやライフスタイルの変化が早く、上手にそれに乗っていくと、常に自分を新鮮に保つことができるし、周りの人のセンスも高いので評価もしてくれる。大人だからと自分主義を通すだけでなく、社会の空気を楽しんでいきたい」と言われていたが、うまく流行を取り入れて、日々の生活を楽しもう。心の風通しをよくしよう。
2005.02.08 Comment:0 | TrackBack:0
満ち引きの海のゆりかご牡蠣育つ(佐賀県・福地子道)

季語:牡蠣
2005.02.07 Comment:0 | TrackBack:0
4日(金)朝日新聞に掲載されていた一ノ関忠人さんの「春のいのち」(全8首)より


「焼酎の最後のしづく舐めむとし「魔王」さかさにいとほしむなり」

ああ、わかります。ノンベエの気持ち。ついやってしまうのよねぇ。瓶を逆さにして、最後の一滴までコップに受けようと、私もやってしまいます。


「杖をひき外套をはおり街をゆく老いひとりさながら神のごときぞ」


こんなおじいさんが向こうから歩いてきたら・・・ちょっとびびってしまうかも。でも、会ってみたいなぁ。
一ノ関さんが見かけたのは、杖をついてはいてもしゃんとした足取りの、どこか気難しい感じのお年寄りなんでしょうね。
私の頭に一瞬浮かんだのは、「ドラゴンボール」の亀仙人でした(苦笑)一ノ関さんに申し訳ない。


いちのせき ただひと
1956年東京生まれ。歌集「群鳥」、「べしみ」
2005.02.06 Comment:0 | TrackBack:0
「生きることは、行動することである。ただ呼吸することではない」


3日(木)朝日新聞夕刊「窓」欄に載っていた平塚らいてふの言葉。
日々惰性のまま過ごしている私には、痛い痛いお言葉。
2005.02.03 Comment:1 | TrackBack:0
1月28日(金)朝日新聞「成美弘至のファッション新論」の中で見つけた言葉。成美弘至さんは、京都造形芸術大学助教授。
「メトロセクシャル」とは、積極的にファッションを楽しむ都会(メトロ)の男性を指すそうだ。ベッカムや中田ヒデのように、しなやかに鍛えた肉体にグッチやプラダなどブランドをかっこよく身につけるイメージで、仕事もおしゃれもできる新時代のセクシーな男性像のことなんだそうな。

成美さんは「新しいジェンダー意識の出現ではなく、消費社会が男性自身の商品化を進めているひとつの事例であろう」という。なるほどね。たとえば「今年の流行色は青です」というのは、あらかじめファッション業界が作った情報であるのと同じで、純粋な?消費者はうっかり乗せられちゃうってよくあるパターン。

最近の男性ファッション誌を見ていると、なにか「勝ち組」症候群をあおっているように感じられてならない。高価なブランドも細く引き締まったからだも、クリエーティブなエリートに見られたいという脅迫観念の発露ではないか。その「繊細」な外見の背後になるのは、やっぱり勝ちたいという「男らしい」欲望のようである。(成美弘至)

そういえば、雑誌広告の見出しでいつも笑わせてくれるのが『LEON』という男性誌。購買ターゲットは、中年層みたい。“イタリアおやじで決める”とか、こうすればモテルとか。
“イタリアおやじ”ねぇ。イタリアおやじになるには、イタリア青年の時代も必要だと思うけどなー。いきなり黒のサングラスかけたって、笑うセールスマンみたいにしか見えないっちゅうねん!
2005.02.02 Comment:0 | TrackBack:0
今朝は、北日本だけでなく西日本も雪が降ったようですね。八丈島でも雪が見られたというし、快晴なのは関東地方だけでしょうか?しかし寒い。

如月の初日にこの歌を。

「きさらぎのこのくにに来てわが魂をゆさぶるばかり雪の降り積む」  松村あや


作者は長らく関西に暮らしておられましたが、仕事の都合で岐阜県に転居されたそうです。海に近かかった環境から、山に囲まれた町の生活へ。初めての雪暮らしに戸惑いながらも、雪が降ると子供のようにわくわくしていたのでしょう。
作者は現在も岐阜県に住み、20年以上を過ごしておられるようです。冬山の毅然さと長良川の豊かさを誇りに思い、「もしかしたら岐阜に転居したおかげで、今日まで生かされているのかもしれない」と思うときがあると。
生まれ在所だけが、故郷ではない。魂がこころよく感じるところも故郷になるのですね。
2005.02.01 Comment:0 | TrackBack:0
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