上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.--
「清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき」

            「みだれ髪」与謝野晶子
スポンサーサイト
2006.03.31 Comment:0 | TrackBack:0
「文章は、あなたにしか書けないことを、具体的に、平易に書けばよいのです」


3/21朝日新聞夕刊「炎の作文塾」(川村二郎)
2006.03.31 Comment:0 | TrackBack:0
咲き満ちてひとひら散れる葩のこの世ならぬをてのひらに享く

              濱梨花枝


*「葩」・・・はなびら

2006.03.30 Comment:0 | TrackBack:0
ただ一度生まれ来しなり「さくらさくら」歌ふベラフォンテもわれも悲しき

                 島田修二
2006.03.30 Comment:0 | TrackBack:0
業平のさくらは朱し西行のさくらは玄し春はまぼろし

               水原紫苑



*朱し・・・あかし
*玄し・・・くろし
2006.03.29 Comment:0 | TrackBack:0
あちこちで桜が満開になり始めた。
それだけで豊かな気分になる。


このごろは、通勤中の読書を休んでも電車の窓の外を見るようにしている。
命短い桜を見逃さないためにだ。


「深山木のその梢とも見えざりし桜は花にあらわれにけり」(源三位頼政)


遠くを眺めていて、「あんなところにも桜が!」と感嘆することがある。
花が咲かなければ、桜の木とは気づかなかっただろう。
確かに「桜は花にあらわれにけり」だ。


桜の見ごろは短い。
そして人の命にも限りがある。

私はあと何回、桜を見られるだろうかとこのごろよく考える。


美しきものを見逃さないように生きよう。




友人に、この日記にコメントがつけにくい(雰囲気的に)と言われたが、とくにコメントをつけてもらいたいとも思っていない。
どうぞお気になさらず。読み逃げ歓迎。
2006.03.29 Comment:0 | TrackBack:0
線路脇に花大根の花が群生しているのに今日気づいた。
いつのまに。

先週までは気がつかなかった。


諸葛菜(しょかっさい)、または紫金草という名を持つこの花は、中国から渡ってきたのだとか。

菜の花の黄色と花大根の紫は、春らしい取り合わせと思う。
千鳥ケ淵をはじめ皇居のお堀でもよく見かける。

穏やかな春の景色。
2006.03.28 Comment:0 | TrackBack:0
ATPsh0019.jpg


「深山木(みやま木)のその梢とも見えざりし桜は花にあらわれにけり」 源頼政 




メモ
花が咲いて、はじめてそこに桜がある事を認識する。
人もいざという時に咲けばよいのだ。
2006.03.28 Comment:0 | TrackBack:0
休みを取っていたので、桜を見に行ってきた。
四ツ谷から市ヶ谷まで外堀公園を散策し、途中休憩を入れながら九段下まで4時間ほど歩いた。


ふわりふわりと桜の花が落ちてくる場面に出くわした。
地面に視線を移せば、まるで花首ごとぽとりと落ちる椿のように、花開いた形のままの桜花が数多く落ちている。
訝しく見上げれば、鳥が花を啄ばんでは「ほういっ」と言うがごとく、
くちばしからそれを落としているのだった。
たぶん鳥は桜の蜜を吸っているのだろう。
そういえば、そんな鳥の行動が書かれたエッセイを何かで読んだ気がする。


060327_1337~01.jpg



鳥たちが蜜を吸いにくる桜の木は決まっているように見えた。
どの木でもいいわけではないようだ。
蜜が甘い木とそうでない木があるのだろうか。
鳥に人気がある桜は、満開になる前から花を散らされてスカスカになっているから、花見客には人気がないかも知れないな。



千鳥ケ淵の桜の美しさはいわずもがな。
靖国神社の奥、あまり人目につかない場所にある再会桜の紅色にはっとした。
寒緋桜の赤とも違う。なんとも表現しがたい、やさしい紅色だった。
2006.03.27 Comment:0 | TrackBack:0
「まだ」


死を知らせる短い手紙が
路傍の名も知らぬ小さい花のように思えた
窓の外の豪奢な夕焼けを見ながら
死んだ友人の控えめな笑顔を思った


あっちにも日常はあるのか
それとも永遠しかないのだろうか
終わりのない雑事に紛れて
私は忘却への一歩を踏み出す


スカルラッティに身をまかせていると
心がゆるやかに波打つ牧草地に出た
霧雨のような後ろめたさに包まれて
私はまだ 生きている


佇む一頭の馬に自分をなぞらえて


          谷川俊太郎




※スカルラッティ・・・イタリアの作曲家
2006.03.27 Comment:0 | TrackBack:0
地上173メートル、ぐるり360度、街を見下ろす。
昨夜泊まったホテルも、これから行く美術館ある辺りも見える。
夜景はもちろん、夕焼け空も美しいに違いない。
次は夜に来よう。




<メモ>
新梅田シティ空中庭園展望台
国際美術館・プーシキン美術館展、マティスの絵が強く印象に残った。
モンシュシュの堂島ロール
2006.03.26 Comment:0 | TrackBack:0
桜ばないのち一ぱい咲くからに生命をかけてわが眺めたり
 
               岡本かの子
2006.03.26 Comment:0 | TrackBack:0
うららかな暖かい一日だった。

久しぶりに古都を歩き回り、今回見たかった場所はほぼクリアできた。
残念ながら桜には早かったけれど、梅や桃は花盛り。
カメラを持っていかなかったので、携帯であれこれ撮った。

老舗珈琲専門店は、そこで過ごす時間までも味わい深いと感じる。
コーヒー一杯を飲む短いひとときであっても。

060325_1805~01.jpg

2006.03.25 Comment:0 | TrackBack:0
仕事を終えて、そのまま新幹線に乗った。
夕闇が迫るころ、富士山には雨雲がかかり、その姿だけをすっぽり隠していた。

掛川のあたりで、ライトアップしたお城が見えたが、あれは何城なんだろう。
車窓から見た静岡は、大きな街のようだった。
ビルの明かりがきれいだった。
それからすぐに大きな川を渡った。

清潔なホテルリネンのシーツが気持ちいい。
今夜は、遠く近くに電車が走る音を聞きながら眠る。
2006.03.24 Comment:0 | TrackBack:0
「葉よりまず花咲く不思議見おろして
            天界に似る二十三階」

                 小島 ゆかり
2006.03.23 Comment:0 | TrackBack:0
昨夜、携帯から更新しようとして、送信直前に意識がなくなってしまったらしい。
今朝、枕元に転がっていた携帯は、メール作成中のままだった。




4月初めに退職する人の仕事を引き継ぐことになった。
今、専任のように受け持っている仕事にプラスだから、覚えるまで大変。



睡眠は、記憶の整理になるという。
新しい情報をINPUTするためには、平行して脳内整理をしていかなくては。
早寝の習慣をつけよう。
2006.03.23 Comment:0 | TrackBack:0
君の内部の青き桜ももろともに抱きしめにけり桜の森に

              佐々木幸綱
2006.03.22 Comment:0 | TrackBack:0
今日は暖かかったのでずっと窓を開けていた。

換気して風を通すことは、家自体にいいらしい。
もちろん健康にも。



カップを両手で暖めるようにして
pure assamのストレートティーを飲む。

テレビを消して、BGMに選んだのはギターのインストのCD。

最近、歌詞がない曲ばかり聴きたいのはなぜだろう。




まろやかな光の中で、桜が咲き始めた。




メモ
石川鷹彦「WORD3」「WORD3.5」
2006.03.21 Comment:0 | TrackBack:0
今日と言ふ日。彼岸中日、春分の空が、朝から晴れて、雲雀は天に翔り過ぎて、帰ることのできぬほど、青雲が深々とたなびいて居た。




翔り・・・かけり
2006.03.21 Comment:0 | TrackBack:0
今朝の富士山は、すっきり清清しく見えた。
見間違いかも知れないが、雪の下の黒い地面が大きく透けて見えるようだった。
雪解けのスピードが速いのではないだろか?



空がとても青い。
多摩川を渡り、都内に入るといっそう青く感じた。
シャガールの青に近い色。


東京の空にも青空はある。




メモ
伊豆大島で桜開花
2006.03.20 Comment:0 | TrackBack:0
夜のさくら明かりとどかぬ一樹にて鬼神のごときその盛り花

            斎藤 史
2006.03.20 Comment:0 | TrackBack:0
2006-3-19sora



春疾風と呼ぶにふさわしい一日だった。

風は冷たくて思わずコートの襟をかき合わせた。
もういらないと思っていたから、マフラーは持って来ていない。

東南の空にだいだい色の雲。
まもなく夜になる印の黒をにじませた雲。
寒くても春の夕方の色だ。


桜の蕾は日一日と大きく膨らんで、早よ咲きたいと待っている。
2006.03.19 Comment:0 | TrackBack:0
昼下がりに降りだした雨は、日が暮れてから上がった。
虹は出ていたのかな。 雨上がりの夜の虹。
月の光が強い満月の前後の数日間なら見ることができる。
運が良ければ。

夕方の虹は東に出るけれど、夜の虹は何処を探せばいいのだろう。
墨色の空に浮かぶ虹はどんなふうに見えるのだろう。





メモ
彼岸入り。墓参り。
2006.03.18 Comment:0 | TrackBack:0
2006-3-17sora


写真は、今日の夕方の西空。
厚い雲の端は金色に染まり、なんとも言いがたい形状であった。
真綿で空を覆ったような。



今朝の富士山は、いっそう白が際立っていた。
雨上がりの朝陽がライトの役目をし、富士山に積もった雪が
レフ板の役目をしたのだろうか。
山から立ち上がる水蒸気が、さらに富士を大きく見せた。
まるでマシュマロマンだったよ。
2006.03.17 Comment:0 | TrackBack:0
辺見庸さんのエッセイが新聞に載っていた。
恥ずかしながら未読の作家である。

絵画を観ているような美形の文だと思った。
芥川賞作家だから当然といえば当然か。

私好みの文章。
わかりやすく美しく。
情景が目に浮かぶのは「読ませる力」が優れているからに他ならない。

こんな文章を書けるようになりたいな。



・・メモ・・
夕方から風雨強くなり、天は暗く閉ざされたままの十六夜である。
2006.03.16 Comment:0 | TrackBack:0
今夜は満月。


自称月見族の私にとって、満月の晩ほど心が落ち着く夜はない。
実際に月を眺めていなくても、「今夜は満月」と思うだけで
すべての不安が消えていくような気持ちになるのだ。
逆に新月の、月が見えないころは
なにもかもが不安の源となり、疑心暗鬼に陥る。

どうして月の満ち欠けが、バイオリズムに影響するのだろうか。
月の魔力に畏怖の念を持たずにはいられない。



月を観てひとときの平安を得る。
2006.03.15 Comment:0 | TrackBack:0
冬晴れの今朝は、久しぶりに富士山を見られた。
それだけで得した気分になる。

駅までの道が楽しく感じられた。

プチハッピー♪って、こんなことでもいい。




先日『オゾンホールふさがるのは60年後』という新聞記事を読んだ。
60年かぁ。
私はもう生きていない。
オゾンホールがふさがるところを見たかったなぁ。

「見られるわけないじゃん!」と思う?

いや、可能性はあると思うよ。

衛星中継するかも知れないじゃない。

誰でも宇宙旅行ができるようになって、実際に見られるかもよ。
2006.03.14 Comment:0 | TrackBack:0
冬に逆戻りしているような天気。
電車の窓から見た丹沢方面は雪催いの空の色をしていた。

しばらく富士山を見てないな。
雨雲が邪魔をしていたり、気温が高くなった日はガスがかかったり。
キンキンと空気が冷えて、冬晴れの日の富士山は美しい。
朝も夕も。

明日の朝は、凍るほどの寒さだという。
寒いのは辛いけど、せめて富士山が見えるといいな。


2006.03.13 Comment:0 | TrackBack:0
吹き荒れた風も夜になって止んだ。
日中の気温の高さを証明するように、月が朧にかすんでいる。
絵に書いたような朧月。

朧月の夜は、死者の世界の扉が開いて
あちらの人びとがこちらの世界へやってくる。
根拠もなくそんな気がしてくるから不思議。

さっき行き違った人は、確にこの世の人だったのだろうか。
確かめる術を私はしらない。

2006.03.12 Comment:0 | TrackBack:0
 わたしたちが文学と出会うのは、およそ青春時代である。そこで出会う文学は、いうんらば青年の自意識の表現であり、小説にしても詩にしても、過剰な自意識ゆえの孤独感や、恋の煩悶や、人生に対する懐疑や、社会への反逆といったテーマに、青年の読者が共感し感動する。
 しかし俳句は、自意識の表現には適さない。すなわち青年の文学ではなく、大人の文学である。恋も反逆も重要なテーマでなくなったとき、それまで価値を認めなかった日常のささいな出来事が、人生にとって大事なものであることに気づく。俳句はそうした第二の発見を楽しむ詩型だ。

           仁平勝(俳人)@朝日新聞「時評歌句詩」より
2006.03.12 Comment:0 | TrackBack:0
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。