上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.--
私淑せしひとり逝きにし春宵に消し忘れたる灯や『有夫恋』(有馬美佐子)
スポンサーサイト
2007.05.31 Comment:0 | TrackBack:0
吹き曝す荒野(あらの)にヒース咲く頃にたどりゆきたし教会の道
2007.05.31 Comment:0 | TrackBack:0
かしこみてもろびと一緒に祈るとき神の御胸は近づきにけり
2007.05.30 Comment:6 | TrackBack:0
土を打つ雨音届く三階に目を閉じて聴く電話の声を(有馬美佐子)
2007.05.30 Comment:0 | TrackBack:0
「止まらずに先へ進んで下さい」とそんなものかよ「受胎告知」は(長野市・海野弘子)

ガソリンの給油を終えし霊柩車朝のラッシュにすべり入りたり(アメリカ・西岡徳江)

父と母山ではぐれたる話などおまけにつきて早蕨届く(佐倉市・船岡みさ)



1首目:ダヴィンチ展の「受胎告知」を見に行った時のことでしょう。
    昔「モナリザ」を見に行った時、まったく同じ状況でした。ピカソの「ゲルニカ」の時も。
    美術館員さんが「立ち止まらないで下さ~い」って叫んでましたっけ。
    本物を見たくて行ったのに、絵どころか人の頭しか見えないじゃない、みたいな(苦笑)
    そういえば、上野動物園にパンダが来たときも同じでした。


3首目:ふるさとから山菜が届いて開けてみたら、父と母がその山菜を採りに行ったときの
    逸話(山ではぐれた)が書かれた手紙も一緒に入っていたという。
    あるいは電話で聞いた話かもしれない。「おまけにつきて」がいい。
    初句は「父母が(ちちははが)」とした方がいいように思います。
2007.05.29 Comment:6 | TrackBack:0
陽の射せば温きベンチに見ていたりのぼりくだりに航跡引くを
2007.05.29 Comment:0 | TrackBack:0
抱きあえぬ人を恋うれば萌え出でる梅花となりて飛んでゆきたし(有馬美佐子)

          公募短歌館 秀逸 田井安曇 選
2007.05.28 Comment:0 | TrackBack:0
先客が忘れてゆきしスポーツ紙風にめくれるはつなつのカフェ
2007.05.28 Comment:0 | TrackBack:0
庭先を赤、青、黄花彩りて楽しげならん絵の中の家
2007.05.27 Comment:0 | TrackBack:0
たぐらんとすればわらわら消えてゆく儚きをかつて愛と呼びにき

             公募短歌館 佳作 栗木京子 選



村山由佳さんの『夜明けまで1マイル』の読後の感想を歌にしてみました。
2007.05.27 Comment:0 | TrackBack:0
蚤市にはかなみて買う刺繍絵の日々のすきまの手すさび思い
2007.05.26 Comment:0 | TrackBack:0
聳え立つ像は左手(ゆんで)に剣握り戦果たたえる広場に高く
2007.05.26 Comment:0 | TrackBack:0
今日もまた通じぬ電話コイビトは大気圏外旅する人ぞ (黄菜子)


          第69回 うたう☆クラブ 穂村弘コーチ選



 穂村弘さんのアドバイスを受け完成した歌です。
 「圏外」から「大気圏外」へ飛躍する発想がよいということで、   「圏外」の言葉を生かしつつ推敲を続けました。
2007.05.25 Comment:0 | TrackBack:0
週末の広場賑わいジャグラーが操る玉より危うい、人は
2007.05.25 Comment:0 | TrackBack:0
春の湯は耳の後ろから冷えはじむ出奔のことばしみじみ思ふ 
                         (有馬美佐子)


      短歌研究詠草・佳作 馬場あき子選 



今回も旧かなで載っていました。
ひょっとすると、新かなは旧かなに直されてしまうのかな?
旧かなは、視覚的にみやびで好きなのですが・・・。うーん。
2007.05.24 Comment:4 | TrackBack:0
八千種(やちくさ)の薔薇咲く園にありし日の皇太子妃の名の麗しき
2007.05.24 Comment:0 | TrackBack:0
しろがねもくがねもありてスプーンに王家の印刻まれており
2007.05.24 Comment:0 | TrackBack:0
オリーブの枝携えて降り来たるあまたの天使ボッティチェリの絵に
2007.05.23 Comment:0 | TrackBack:0
そのかみの詩人の家を尋ねゆくガイドブックに照らしあわせつつ
2007.05.23 Comment:0 | TrackBack:0
ともらねばさみしともればなおさみし外灯ほつりあわきそび色(夕張市・美原凍子)

                     *そび色・・・淡い緋色

ガラス越しに商品として人を待つのっぺらぼうの墓石いくつ(和泉市・長尾幹也)


すしづめだぞもう乗り込むなとねめつけるラッシュアワーは犍陀多(かんだた)ばかり(東京都・民辻善史郎)



1首目:夕ぐれ時の、どことなく不安定な気持ちになる感じがよく出ていると思います。
「そび色」、はじめて聞きました。
2007.05.22 Comment:0 | TrackBack:0
限りなく流れゆく河とも思え朝な夕なに船が行き交う
2007.05.22 Comment:0 | TrackBack:0
アクターの言葉せめぎ合う売店の三角屋根に夜を積もらせ
2007.05.21 Comment:0 | TrackBack:0
夕晴れも背景として劇中に小さき明かりほつほつ灯る
2007.05.20 Comment:0 | TrackBack:0
午後8時に始まるという『空騒ぎ』白夜のオープンエアーシアターに
2007.05.20 Comment:0 | TrackBack:0
『叙情文芸』第122号に寄稿された香川ヒサさんの「二十一世紀」より



カーテンを開ければ朝の空が見え私はここに今来たばかり

顔を洗ひ歯を磨きたり 「一切は『する』とふ動詞の無限の活用」(カーライル)

できごとを満載したる新聞はきつちりたためばきれいに片付く

「まだなかなか片付きやしないよ」 こぼしたるミルクが床にうすく広がる

「まだなかなか片付きやしないよ」 日記には書けないやうなことが増えゆく

漱石が聞いたカーライルが聞いた音 カーライルハウスの階上りつつ

見てゐれば見ているほどの透明になりゆく硝子 二十一世紀



   注・「まだなかなか片付きやしないよ」 夏目漱石『道草』


「顔を洗ひ歯を磨きたり」の歌、カーライルの言葉を呼応させて面白いと思った。
「漱石が聞いたカーライルが聞いた音」も、一瞬「んっ?」と思う表現がなかなか楽しい。
結句の「階上りつつ」で、作者がイギリスのカーライルハウスを訪ねたときのことを歌ったのだとわかる。
「カーライルハウスにをりし「丸顔の婆さん」更新されている世界」という歌もあった。
漱石の足跡をたどっての旅だったのだろうか。
イギリスのカーライルハウスには、漱石の署名(夏目金之助)が残っているという。




友人から貸りた『叙情文芸』第122号には小島ゆかりさんのインタビューもあった。
この本の主力は読者の投稿。詩も書き、短歌も詠い、俳句も吟じる器用な作者も見受けられる。
短歌の選者は河野裕子さん。俳句の選者は坪内稔典先生。
短歌のコーナーでは、河野裕子さんいわく「地味で堅実な歌風」の特選のお二方よりも、入選作のほうが光っていたと思う。

河野さんも最後まで迷ったという入選の越水サトさんの歌を紹介する。

ラチャダムリ駅を降り大林組ビル横過ぎて水溜り跳ぶ /越水サト
かなり大きな犬と寝る女のうえを風がふくなりここちよからん
逆光にフルフェイスマスク混ざり来YAMAHAあHONDAあ あああああ
2007.05.20 Comment:0 | TrackBack:1
歌集の後半部分(『はじめに光ありき』『野菜涅槃図』『黒衣の虹』『生れ生れ』)より


身に余るなべて落とさむ樹もわれも秋のひかりに洗ひいださる/『はじめに光ありき』

柿若葉そよぎてひかる地(つち)の上われは人型のくびれを深む

葉の落つる発端を見む目も耳もひらきてわれも透きつつゆかな

白紙に置きて久しき万年筆こよひの影のゆるみゆくらし



虹消えてふたたびひろき空のもとありありとわれのうしなひしもの/『野菜涅槃図』

急きせきて改札をいづ夫の文字のあるべくもなき伝言板へ

生きゐし日の名前に冠するソフト帽「故」の文字すこし崩して書かな

わきまへのなくて乱るるコスモスを伊賀破れ袋の壷に投げ入れる



見て飽かず触れても飽かぬソフト帽 革の手袋みながらんどう/『黒衣の虹』

子にありて吾になき黒子(ほくろ)亡きひとの笑みて仄かにゆるむ口もと

喪をぬぎて息ふかぶかと吸ひ継がむ細胞六兆なほはづみつつ

寄りきたるはた去りゆける数々を思ひゐるかな われは冬の木



花の渦なして揺らぐを腕といふ早ういできて手を結ぼうよ/『生(あ)れ生(あ)れ』

みどりごは何故にみどりぞ艶めける産湯の足裏蚕豆に似る

すんすんと音の聴こえてふところ子すつくと立てりこの太郎月

氷塊の溶くる速さに温暖化憂ふる声はコップの中へ




後半部分は、それぞれの歌集ともボリュームがあり四首ずつ選んだ。
配偶者の介護、その死後、自身の怪我、短歌のこと、孫の誕生、社会詠が身辺雑記のように詠まれている。

『野菜涅槃図』にあった「虹消えてふたたびひろき空のもとありありとわれのうしなひしもの」は、私が春日真木子さんに興味を持ったきっかけの一首。
おそらく挽歌だろうと思っていた。
ご主人についての歌は、読んでいて辛い歌が多いのだが、「見て飽かず触れても飽かぬソフト帽 革の手袋みながらんどう」の「がらんどう」の突っぱね方が好きだ。
やはり、子や孫の歌は誰でも甘くなってしまうのはいたし方ないか。

春日真木子さんは同郷であるらしく、なんだかそんなことが嬉しい。
2007.05.19 Comment:0 | TrackBack:0
春日真木子歌集『火の辺虹の辺』(平成17年12月)を読み始めたところ。
短歌総合誌でいくたびかその作品に触れ、もっと詳しく読んでみたいと思っていた。

この歌集は、作者のこれまでの八歌集からの選出だそうだ。
(『北国断片』『火中蓮』『あまくれなゐ』『空の花花』『はじめに光ありき』『野菜涅槃図』『黒衣の虹』『生れ生れ(あれあれ)』)
歌集のタイトルは、あとがきに書かれていた「火にエネルギーを得、虹の弧にあらたな夢をもとめての作歌であったが、いま改めて自作品の歩みを振り返り、物の見方、言葉をありかたを見つめている」の思いに繋がっている。
集中には社会詠もあるが、前半は父母の思い出、母の看取り、孫の誕生、師の葬いなど、中年以降の女性歌人に相応しい歌が並んでいる。

まずは4つの歌集より私が好きと感じた歌を。
後半の歌は後日書きたいと思う。



妻なりし過去もつ肢体に新しき浴衣を存分に絡ませて歩む/『北国断片』

優勢にありたき時よ鳳仙花激しく割れて種子散らすべし

信じ合いて今宵眠らむ消灯のわが家めぐりて四月の雪積む


さくら木を仰ぐ咽喉もと膨らみていま昇りくる言葉を待てり/『火中蓮』

侘助を今日かりそめの顔として古陶の筒は裾ぬれてをり

ぎんなんをふふみて娘の鬱深し胎児は性を領つころなり


地球儀を日向にまはす幼子にアリスの捲毛そよぎはじめる/『あまくれなゐ』

傘ふかく擦れちがひたるのちおもふ仏の唇も朱かりしかな

ひねもすををんなのまなこ掻きおとす埴師にゆるる藤の花ふさ


さむざむと鏡を磨き浮きいづる虹の輪ひとつ母と思はむ/『空の花花』

冬のひかりしろくながれてリトグラフの疾駆の馬を逸らせてゐつ

さくら花目に溢るとも盲ひふるなひたひたと今寄せくるものを
2007.05.18 Comment:0 | TrackBack:0
12日の歌会後に行われた研究会は、村田馨さんのレポートによる「短歌往来」3月号掲載の高島裕(ゆたか)さんの『氷のつばさ』33首をテキストに。

高島裕さんは富山県在住。年齢は40歳。
『旧制度(アンシャン・レジーム)』、『嬬問ひ』、『雨を聴く』と三つの歌集を上梓。
現在は退会されているが、結社「未来」で岡井隆さんに師事されていたそうだ。
個人誌「文机」を発行しておられるほか、黒瀬珂瀾さん、生沼義朗さんらと短歌誌「SAI」にも携わっておられるとのこと。

第一歌集から現在に至る間に高島さんに大いなる変化(イデオロギーに関して)があったそうだが、私はほとんど初めて作品に触れたのでよくわからない。
端正な歌だと思う。どことなく寺山修司に似ていると思った。
同席のどなたもそんなことを言われないので(「岡井隆の方法論に受け継いでいる」という意見があった)、発言はしなかったけれど。
どこがどう似ているのか。おそらくその「手法」が、としか言えないが、ナルシズムとかニヒルな自分を演出しているところとか。
たぶん寺山修司の感性が好きだった頃の私(十代の頃)だったら、いまの高島さんの世界にすっと引き込まれたのではないだろうか。

研究会は二十数名の参加だったが、否定的な意見が多かったと思う。
「自己陶酔」「ネガティブな自己愛」「孤のポーズ(イメージ先行)」「美意識でまとめようとしている」「あまったれ」「父性への思慕」「右傾化」などの感想が聞かれた。



高島裕/『氷のつばさ』より


氷塊を呑みたるごとき心かな 9.11以後を存(ながら)ふ

わが裡の闇に腐らぬ骸あり 蛍びっしり貼り付く骸

われのほか誰も入るな 月に照る蒼き氷湖のごときわが国

父よ、亡き父よ今夜(こよひ)を天降(あも)りきて戦争(いくさ)のことも語り給えな

百年の家居の闇に抱かれつつ童形のまま老いゆくわれか

あるほどの幸せよ来よ、あやまたず凍土の胸に抱きとめてやる

わが道の行手はるかにふりかへりほほゑむひとよ 軍装のひと

降り烟る雪のさなかにひとり居り 至福といふはかくの如きか

わが歌は氷のつばさ いつしんに雪のかなたシリウスを恋ふ

薄明か薄暮か知らず ひとり目覚めて生まれたままの寂しさにゐる
2007.05.17 Comment:2 | TrackBack:1
じゃがいもの新種は未(いま)だ芽を出さず「インカの目覚め」の眠りは深く(土岐市・高柳恵美子)


庭にあれば白とも見ゆるいちはつのあわきむらさき春慶に挿す(福岡市・宮原ますみ)


芸を終え水に戻ったセイウチはホッケをごぼごぼ出し食べなおす(北海道・佐藤拓子)



1首目
アイロニカルな視点を持つ歌。こういう歌、好きです。

2首目
題材が正統派、あるいは古典派という歌。
いちはつの花の色。春慶の花瓶。情景が美しい。子規的。

3首目
「ごぼごぼ」が感じが出ている気がします。よく観察している歌。
2007.05.14 Comment:2 | TrackBack:0
駆け落ちでなければ帰る外なくてくたびれている「のぞみ」の窓に(有馬美佐子)



妙に皆さんにウケてしまいました(苦笑)
異性との旅行から帰るところか、作者が男性は女性か(作者名は最後に発表)。
二人で帰るところか、ひとりだけ帰るところか。
二人で帰るなら「のぞみの窓のふたり」ともしようが、きっと一人だけで帰ったに違いない。
“駆け落ち”だったら良かったのになぁ、と作者は思って詠んだ。
いやいや、日常に戻る妻のぼやきだろう。
「のぞみ」は希望の意味をかけてある。
いろいろ想像させられる。
「くたびれている」がいい。
おかしみがある歌と。

楽しくなる歌評をたくさんいただき、ありがたかったです。
2007.05.14 Comment:0 | TrackBack:0
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。