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母となる同級生に付き添いて産科にあれば吾は小さし(岩手県・奈瀬あすみ)



幼子がぼくのパパはロボットとう義足義腕の帰還兵なり(アメリカ・中條喜美子)



ほとほととまた栗の実を落とす風少年兵の兄かも知れぬ(山形県・清野弘也)






1首目:私の年齢でも、年に数回は産婦人科に行く。さすがに妊娠ではなくて、婦人科の検診のためだが。産婦人科の病院が少なくなっていると聞くが、そのためかいつも混雑しているし、待ち時間も長い。主に「産む」ことを選択した女性たちが多いわけで、異様な雰囲気があると思う。(病気ではないから)
これから「人」を産む力がみなぎっている女たちに囲まれていると、産むためでなく訪うた者はけっこう居心地が悪い。そう思うのは私だけかな?
作者も付き添いで行って、そんな雰囲気に圧倒されたのだろうか。共に学び、遊んできた同級生に、今まで見たこともなかった母親の顔を見つけて、自分とその友達の間が急に遠くなったような寂しさも感じたのだろう。



2首目:昭和30~40年代だったと思う。私が住んでいた鹿児島では、繁華街や観光地の道端に、戦争で負傷したと思われる、手足を失った男性(複数)が座っていたのを覚えている。古ぼけた軍服のようなものを着ていた。必ず、空き缶のようなものが置いてあって、通りがかった人たちにお金を入れてもらうためだった。
今の日本には、もうそういう人はいないと思う。アメリカではまだ、戦争で負傷した元兵士たちが多くいる。ベトナム戦や湾岸戦やイラクでの。
「ぼくのパパはロボットなんだ」という、戦争の矛盾をまだ知らない無邪気な発言が心に痛い。



3首目:作者のお兄さんは、子どもの頃よく、木の実を取ったりしてくれていたのだろう。
若い頃は忘れていて、年老いて急に思い出すことがある。作者は、栗の実を見つけても取るのを億劫に感じていたのではないだろうか。ガマンしよう、そう思ったとき、風が栗の実を落としてくれた。まるで、昔、兄さんがしてくれたように。
2007.11.06 Comment:0 | TrackBack:0
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