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朗読・翻訳 その豊穣な時間/中山 元(哲学者・翻訳家)

                           2009年2月21日朝日新聞より

(前略)

他者の思考を理解するということは、そのひとの言葉のうちで呼吸している思考を理解するということだ。しかしただテクストを読んでいても、著者の思考の鼓動を感じとれないことがある。優れたテクストの多くは、長い時間をかけて書かれたものであるのに、読む者の目は、しばしばテクストの上を高速で滑走してしまうからである。
思考を読み解くためには、遅さというものが大切なのだ。テクストの背後と行の間を読み込み、その白紙の部分にみずからの思考を書き込みながら、長い時間を過ごす。著者との沈黙の対話のうちに過ごすこの時間は無駄ではない。それこそが豊穣な時間なのだ。

だが、どうすればその遅さをもたらすことができるのか。ぼくはよく、次の二つの技法を使っている。一つはテクストを耳から聞くということである。テクストを朗読する、そして録音するのだ。目でみた文章をひとたび自分の口で語り、語り終えた言葉を録音で聞く。このとき言葉はふたたび耳を通して入ってくる。目と口と耳を通過しながら、他者の文章の思考の動きが、次第にぼくの思考と絡み合ってくる。生き物のようなその変化は微妙で、深い。
もう一つは、翻訳してみることである。(以下省略)



↓全文
思考は言葉によって紡がれる。言葉にならない思考は、昨晩の夢のようなものであり、雰囲気としては残っていても、揺らいでいく。思考は言葉に定着させる必要がある。
 言葉のうちで思考は育ってゆく。蚕が糸を紡ぐように、思考は言葉を繭として、言葉のうちで育まれ、成長し、やがて羽ばたくようになる。思考は言葉の網の目のうちで息づく命のようなものだ。
 だから他者の思考を理解するということは、そのひとの言葉のうちで呼吸している思考を理解するということだ。しかしただテクストを読んでいても、著者の思考の鼓動を感じとれないことがある。優れたテクストの多くは、長い時間をかけて書かれたものであるのに、読む者の目は、しばしばテクストの上を高速で滑走してしまうからである。
 思考を読み解くためには、遅さというものが大切なのだ。テクストの背後と行の間を読み込み、その白紙の部分にみずからの思考を書き込みながら、長い時間を過ごす。著者との沈黙の対話のうちに過ごすこの時間は無駄ではない。それこそが豊穣な時間なのだ。
 だが、どうすればその遅さをもたらすことができるのか。ぼくはよく、次の二つの技法を使っている。一つはテクストを耳から聞くということである。テクストを朗読する、そして録音するのだ。目でみた文章をひとたび自分の口で語り、語り終えた言葉を録音で聞く。このとき言葉はふたたび耳を通して入ってくる。目と口と耳を通過しながら、他者の文章の思考の動きが、次第にぼくの思考と絡み合ってくる。生き物のようなその変化は微妙で、深い。
 もう一つは、翻訳してみることである。そのテクストが日本語であれば、おぼつかなくとも自分の知る他の言語に訳してみる。その遅さのなかで、思わぬほどに思考の道筋がみえてくる。外国の著者のテクストであれば、日本語に訳してみる。
 翻訳という営みでは、もとの言葉の網の目のうちに入りこみ、著者と同じようにその思考の鼓動を感じとろうとすることが、決定的に重要な意味を持つ。翻訳家というぼくの仕事では、どうしても肌の合わない文体の思想家のテクストを翻訳するときに苦しくなることがある。それは相手と思考を共有しにくいためなのだ。
 外国語を翻訳するという作業は、もとのテクストの言葉と構文を、ぼくたちの思考の道具である日本語の言葉と構文で言い換えていく営みである。テクストを読み込むという目的のためなら、もとの言語のテクストでなくても、英語など、自分にとって親しみやすい言語にあらかじめ訳されたものを訳すことでも十分に役立つ。必要なのは、滑りすぎる目の速度から、どのようにして思考を「遅らせる」かということなのだ。
 そしてこの二つの方法を組み合わせることもできる。はじめに原文のテクストを朗読して、耳で聞く。それから翻訳をしてみる。こうして、読みを二重に「遅らせる」ことができるのだ。ぼくはある著者を理解したいと強く願うとき、翻訳という作業を始める。翻訳をするのは、他の読者のために訳すという目的にかぎらない。翻訳は、読む速度を遅らせてくれる。そして「遅く考える」時間を、ぼくにくれるのだ。



中山 元(なかやま・げん)1949年生まれ。
『賢者と羊飼い』などの著書のほか、デリダ、フーコーら翻訳を多数手がけ、最近は光文社古典新訳文庫のカント、ルソー、フロイトが話題に。
2009.02.21 Comment:0 | TrackBack:0
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