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24日朝日新聞の文芸時評は、斎藤美奈子さん(文芸評論家)の“「結末」の問題~純文学と娯楽小説の違いは~”。斎藤さん、今回は全然きつい言い方じゃなかったが(さださんの処女小説『精霊流し』の時はメッタ切りだったなぁ)、相変わらずキレが良くて気持ちがいい。
斎藤さんは純文学と娯楽小説の相違について、「何を描くか(WHAT)に力点があるのがエンタメ系、いかに描くか(HOW)に力点があるのが純文系」を目安としてきたという。そして「起承転結すべてがそろっているのがエンタメ系。起承転結を壊すのが純文学」という新定義を思いついたと。
その定義を、短歌に当てはめることができるか考えてみた。もともと短歌は一首の中に起承転結が詰まっているはずのものだったが、現在の短歌は多様である。わかりやすく読者が共感しやすい、たとえば新聞短歌はエンタメ系。では純文系とは?起承承転、あるいは承承承承。一読して意味がわからない歌が純文学系になるだろうか。ちょっと乱暴な分け方をすれば。
「純文学はエンタメ系より高級なのだ、という話ではない。~中略~ただ美しい結末に回収される物語はそこで終りだ。後に引きずるものがないのは寂しいじゃないの」と斎藤さんは言う。もちろんこれは小説の場合。短歌の場合は「言いすぎない」ことで余情を持たせ、読者に想像をさせる(読みを任せる)のが良いと言われている。
まとまりないので、ここで幕(笑)
2009.03.25 Comment:7 | TrackBack:0
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