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俳人の黛まどかさんが、「句跨り」について書かれていた。(『俳句脳』/茂木健一郎・黛まどか)。若い人が作る俳句に句跨りが多いという。黛さんの句にも句跨りは多い。たとえば、「旅終へてよりB面の夏休」(黛まどか)。指を折って数えれば、ちゃんと俳句の17音であるが、7:5:5という破調になっている。
ある文芸評論家に「この句のリズム、ぼくのようなオジサンにはわからないんだよね~」と言われたそうだが、黛さんがかつて主催していた結社「月刊ヘップバーン」(数回見学させていただきました)の会員たちも句跨りは多かったそうだ。
黛さんは、「これは時代のリズム、内在律ではないかと思うのです。(中略)破調の俳句は、もちろん従来ありました。ただ、今私が多く目にする、若い人たちが詠む俳句のリズムはそれらとはまた違うのです」という。
つまり、世代によって内在律に変化が見られるということだろう。短歌においても、若い人たちが詠む歌は一読して「ん?どこで区切るの?」と思うことがあるが、へぇそうなんだ、内在律の違いねぇ。でも、内在律って個人個人で違わないほうが不思議な気もするけど・・・ここで言う内在律は、もっとおおまかに言っているのだろう。
黛さんの意見に感心して友人に話したら、「年取っているから理解できないってこと?そう言われると、身も蓋もないって感じだなぁ」とちょっぴりご立腹であった(苦笑)


「時代のリズム」↓


彼女たちは初めからこのリズムをすんなりと受け入れ、自分たちのものにしていました。少なくとも前出の評論家の方のように、指を折って数えて納得したりはしていませんでした。最初から身体でわかっていたという感じです。これは時代のリズム、内在律ではないかと思うのです。
たとえば、「月刊ヘップバーン」の仲間たちとカラオケに行って歌います。その時仲間が歌う歌に皆が手拍子を打ちます。
 お願いよ 正直な
 気持ちだけ 聞かせて
 と、たとえば松田聖子の『白いパラソル』を歌う場合、「お、が、よ」「し、じ、な」と頭取りで手拍子を打つか、「ね、い」「う、き」と裏拍で手拍子を打つか、意識したことがありますか。年配の方は、自然と頭取りですが、今の時代の若者たちは、ほとんどが裏取りです。
破調の俳句は、もちろん従来ありました。
ただ、今私が多く目にする、若い人たちが詠む俳句のリズムはそれらとはまた違うのです。
叱りたるあと抱きしめて冬茜 菅野奈都子
駆け寄って来て向日葵の真昼かな 石井優美子
これは時代の問題のように思うのです。時代のリズムが変化しているということでしょう。
(『俳句脳』/茂木健一郎・黛まどか共著より)


2009.06.04 Comment:6 | TrackBack:0
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