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6日の朝日新聞の池澤夏樹さんのエッセイを読んだ。今年3月のこと、池澤さんは南アメリカの南端のナバリノ島で、ヤガン族の最後のひとりという老婦人と出会ったところから話は始まる。一万年以上昔、東アジアのモンゴロイドの一部が、現在のベーリング海峡を越えて、人がまだ住まない土地へ渡った。やがてアメリカ大陸の全域にも広がっていた。つまり、日本人とも先祖を共有するアメリカ大陸の先住民のうちで、いちばん遠くまで行ったのがヤガン族だそうだ。
さて、そのヤガン族の言葉を英訳した辞書には、動作を表現する言葉が多いという。「トーアトゥ」という他動詞は「運びやすいように鳥を首や足で束ねて縛る」という意味。ただ「束ねる」のではない。また「ダガタマ」という動詞は「大きな肉のかたまりを両手で持ってかじりとる」という意味だそうだ。「この辞書を読みながら、かつて人間にとって生きることはこんなに具体的であったのかと思った。ものの重さや質感、匂い、生活の一場面、不幸と幸福がそのまま一つの単語に出ている」と池澤さん。
いま、わたしたちの生活で、狩猟はおろか自分で何かを作って使うということすら少ない。洋服にしても家具にしても、ほしいものは完成品で売っている。壊れたら修理しないで捨ててしまう。そしてまた新品を買う。そのほうが安いからだ。池澤さんは「万事がヴァーチュアルになって、自然という揺るがぬ枠組みを失って、人間の欲望だけでことが決まる。ヤガン語やアイヌ語にあった生きることの困難と喜びは現代の日本語にはない」と論じている。
具体的な動作を表す動詞として、加工する場面を例に挙げられていた「うがつ」「うるかす」「かしめる」「くける」「くじる」「こく/しごく」「なう」「はつる」のうちで、わたしが普段に使う言葉はほとんどない。言葉の意味はまだなんとか理解できる。いつくかの言葉は使うことがあるかもしれないが、「かしめる」はこの先一生使わないだろうなぁ。
2009.06.07 Comment:0 | TrackBack:0
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