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井上荒野さんが「作家の口福」(朝日新聞)で、子どものころの朝食のことを書いておられて楽しく読んだ。わたしが子どものころといえば、料理下手な母ゆえ食パン1枚。しかもトーストしてなくて、貧しい我が家にはジャムすらなかったし。それに比べて、井上荒野さんの朝食のなんと豊かで楽しいこと。わたしも子どものころに豊かな食事をしていたら、もう少し食にこだわりを持っていたかもしれない。
そのこと以上に、エッセイの中に“子どものころ大事にしていたもの”に言い及んだ箇所があって、その言葉がわたしのノスタルジーを刺激するのだ。

「炒めたキャベツの甘い匂いを嗅ぐと、日曜日の朝の気配が甦る。今は曜日に無関係な生活形態ということもあり、その気配は子どもの頃大事にしていた安物のブローチとか、きれいな石ころとどこか通じるものがある」

わたしも、きれいな小石や海辺で拾った色ガラス、夜店で買ってもらったネックレスとかをお菓子の空き箱みたいなものに入れて宝物のように大事にしていた。あの小石やネックレスはいつのまにか無くなってしまった。いや、きっと捨ててしまったのだ。どうして捨ててしまったのだろう。あんなに大好きと思っていたのに。
昨日までとても大事だったものが、今日急に色あせて見える。たぶんそれは飽きたというより、自分のこころにもう必要でなくなったということじゃないかしら。じゅうぶんに吸収したから、いらなくなったということ。昨日より少し成長するということはそういうことで、それを繰り返しておとなになったのだ。
いま思えばガラクタばかりのあの宝箱。でも、できるなら取り戻したい気分の夜である。
2009.09.06 Comment:2 | TrackBack:0
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