上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.--
下重暁子さんが『持たない暮らし』の中で、千利休の究極の美意識について書かれていた。
茶室につづく道や垣根の朝顔が一輪残らず摘み取られ、茶室に入った途端、花入れに一輪の朝顔。招かれた人はみな、その花の素朴な美しさにため息をついたという。つまり、一輪の朝顔を引き立たせるために、利休はほかの朝顔をすべて摘んだというのである。
ストイックなまでの利休の行動。削いで削いで、最後に残った究極の美。去年、日展で見た熊野古道の絵を思い出した。石積みの道を引き立たせるために、道の両側の木立をほとんど真っ黒に塗りつぶしていた。そのとき、歌を詠む行為の究極も同じだと強く感じた。


あれ、久しぶりに「である」調に戻っています。これからも「ですます」調と「である」調の混在で書いて行くと思いますので、ひとつよろしくお願いします。
2010.02.13 Comment:0 | TrackBack:0
Secret

TrackBackURL
→http://kinakotanka.blog57.fc2.com/tb.php/2745-1e87d025
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。